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(no subject)15
カシアンとドクター。










 「はあ」と、カシアンは部屋に入ってくるなり溜息をついた。
 その体躯では抱えきれなかったのだろう、大きな箱を引きずりながら、重い足取りでやってくる。何をしだすかと思えば、それをテーブルの脇に置いて、そこに自らの私物を詰め始めた。
 そして、「はああぁぁ」と、また溜息を一つ。
 暫く様子を眺めていると、カシアンは物を詰めてはその手を止め、溜息をついてうなだれるということを繰り返していた。
 正直、ちょっとだけ鬱陶しい。
 「……何やってんですか、君は」
 耐えられなくなってジザベルは訊いた。
 年末年始の大掃除には早すぎる。そのほかにこれといって、カシアンが大掃除を始める理由は思いあたらなかった。
 「ドクター……」
 と、カシアンはジザベルの顔を見て、再び溜息を一つ。
 「ひとの顔見て溜息つかないでください」
 「はいはい」
 「返事は一回」
 「……はーい」
 おもしろくない。
 いつもはこうやって定型通りのことをいえば、もっとつっかかってくるのに(そして、ジザベルはそれが嫌いではなかった)。こんなふうに普通の反応をされたら、どうしていいのかわからない。
ジザベルが迷っている間にもカシアンはどんどん私物を片付けていく。さほど物を置いているとは思っていなかったが、それなりに長くいるだけあって、箱一つでは足りなかったらしい。入りきらなかった物をまとめ、何か入れられる箱がないか探している。
 これではまるで――
 「……引っ越しでもするんですか?」
 「ああ?悪い、聞いてなかった。何だって?」
 「いえ……それじゃあ、引っ越しするみたいだなって」
 ジザベルは冗談のつもりでいったから、かえってきたこたえに驚いた。
 「そうだよ」
 「え?」
 「引っ越しだよ、引っ越し。今日付けで辞令が出た」
 ぺらり、と目の前に突きつけられた紙を受け取り、目を通す。
 それは確かに辞令だった。
 本日付でカシアンは大アルカナ直属のトランプとなる旨の云々が記されている(もっともどの大アルカナの下につくかはその文面には記されていなかったが)。
 どこからどうみても、辞令だった。
 「――……おめでとうございます」
 「なんで?」
 「栄転でしょう?」
 「まさか。ただの移動命令だよ。俺自身は第三階級のまま」
 はあぁぁぁぁ。と、本日一番の溜息。
 「嬉しくないんですか?」
 「べーつーに」
 それが彼の目的のための近道だというのに?
 ジザベルの怪訝な眼差しに気付いたのか、カシアンは「俺が出世したわけじゃねぇし」と付け足した。
 「ドクターは?」
 「え?」
 「……なんでもない」
 ジザベルが訊き返すよりも早く、カシアンは時計を見ると、「ああっ!」と声をあげた。
 「やべぇ、もうこんな時間……!」
 「どうかしたんですか?」
 「『2時に東棟3階の会議室』に来いって。顔合わせするんだと」
 カシアンは慌ただしく物を詰め込み箱を閉じようとするが、何でも詰め込みすぎたせいで蓋はなかなか閉まらない。入りきらなかった物たちも、まだそこかしこに散乱している。「この、クソ……!」と、乱暴に蓋を閉じたが、蓋はカシアンを馬鹿にするように再びパカッと開いてしまった。
 「カシアン、後にしたらどうですか?」
 「でも、邪魔になるし」
 「別に、私はかまいません。後で、落ち着いたらゆっくりやればいいでしょう」
 カシアンはそれでも迷っていたようだが、ジザベルが「時間に遅れますよ」と告げると、はっとしたようにもう一度時計を見た。
 「すみません、ドクター!後でとりにきます!」
 帽子と上着をひっつかむと、カシアンは部屋を飛び出していった。

 ***

 誰もいない部屋の中でカシアンは「はあぁぁ」と溜息をついた。本日何度目になるのかもうわからない。
 指定された時間より少し前に指定された場所にいくと、そこには『月』がいた。
 まさかこの女の下に就くのか?なんて嫌がらせだ。と思ったが、それはどうやら杞憂だったようで、『月』は「では、担当の者を呼んできます」といって出て行ってしまった(中間管理職も大変だ)。
 だから、まだ、誰がカシアンの新しい上司になるのかわからない。
 良い人ならいいな。とぼんやりと考えて、この秘密結社にいる以上、それはありえないと即座に思い至った。普通の人、もいない。
 ――ドクターの変人度なんて、可愛いもんだよなあ……。
 そりゃあ、内臓フェチで、死にたがりで、人生観歪みまくってはいるけれど。少なくとも、カシアンに実害はない(あるのかもしれないが、レズビアン魔女やヘンタイ司祭長に薬漬けや手込めにされるよりは遥かにマシだ)。
 ――もしかして、俺、今迄相当恵まれてたんじゃね?
 個人的な感情を差し引いて考えたことがなかったから、あまり意識しなかったけれど。
 第一階級の中から「誰を上司にしたいですか?」と訊かれたら、「ジザベル」と即答する。冷静に考えて一番マトモだ。
 ――……これで司祭長とか連れて来られたら最悪だな。
 そうしたら組織を抜けよう。と、カシアンは真剣に思った。組織を抜けたら制裁として死が待っているが、あんなヤツの下につくくらいなら死んだ方がマシだ。
 カシアンは軽く頭を振ってその思考を追い出した。そんな最悪のパターンは想像すらしたくない。
 どうせ、誰かの下につくなら。
 ――……ドクターがよかったなぁ。
 本当は部下じゃなくて対等な存在でいたいのだけど。それはきっと無理だから。
 初めてジザベルの下に配属されたときの嫌がりようが嘘のようだ。あの頃は、彼を陥れてでも第一階級にのし上がることばかり考えていたというのに。
 今では、そんなことはもうどうでもよくて。
 ただ、そばにいたい。
 そう思っている。
 ――っていっても、さあ。
 そう思っているのはカシアンだけのようで。
 その証拠に、ジザベルはカシアンが他人の下につくと知っても特に何も思うところはないようだ。
 いつも通りの怜悧な表情を微塵も崩さず、よりにもよって、出てきた言葉は「おめでとうございます」ときたもんだ。
 カシアンと組む前のジザベルはずっと一人で仕事をしていた。それで特に支障はなかったときいている。だから、単にカシアンと組む前に戻るだけだ。その程度にしか考えていないのだろう。
もしかしたら、煩いのがいなくなって清々した、くらいに思っているかもしれない。
 ――うあ、なんかそれってショックかも……。
 だが、ありえない話ではない。
 何せ、相手はあのジザベルなのだから。
 ――あ、でも『荷物は後でいい』って……。
 ということは、二度と顔も見たくない程には嫌われていないのだろう。だが、それだけともいえる。
 この思考はあまり心臓によろしくない。続けていたら何だか寿命が縮む気がした。
 はあ。と、更につこうとした溜息をカシアンは飲み込む。ガチャリと、錆びかけたドアノブが回る音がした。音がしたと同時にカシアンは起立してドアの方を向き、背筋をピンとのばしていた。
 「遅くなりました」
 いいながら入ってきた『月』に「いえ」と短く応える。その後ろには誰の姿もない。
 いよいよ本格的にこの女が上司なのか?
 カシアンは内心で首を傾げた。
 だとしたら、さっき『新しい上司を連れてくるから』と部屋を出て行ったのは何なんだ。この女にそんなユーモアがあったなんて驚きだ。
 『月』はカシアンを一瞥すると、微かに眉をひそめる。
 睨み返そうとしてカシアンは止めた。本当にこの女が新しい上司なら洒落にならない。
 「本日より、第三階級カシアンを第一階級直属の任に命じます。以後の行動については、上官たるカードの指示に従って下さい。準備が出来ているなら、呼びますが?」
 「はい。お願いします」
 ――ということは、だ。
 やはり新しい上司はこの女ではないのだ。
 「ところで――貴方は前任の者から何かきいていますか?」
 「いいえ。何も」
 「そう」
 それきり、『月』は黙りこんでしまう。
 何かまずいことを言っただろうか。もしかして、事前に色々調べておけとか。
 ――いやでも、そんな時間なかったし。
 カシアンがそんなことを考えている間に、『月』は「わかりました」といって、踵を返した。入り口まで歩いていくと、扉のところで誰かと二、三言、言葉を交わし、戻ってくる。
 小柄な彼女の後ろについてきた姿を見て、カシアンは絶句した。
 「カシアン、此方が貴方の上官です。自己紹介は不要ですね」
 『月』は何だか色んなことを言っていた気がするが、どれもカシアンの耳には入ってこなかった(というより、入った端から抜けていった)。
 「――何か質問は?」と訊かれ、「……いいえ」と何とか答えたことだけ、カシアンの記憶に残っている。
 「では、私はこれで」
 『月』はその人に軽く頭を下げると、静かに部屋を出て行った。去り際に「付き合ってらんないわ」と呟いていたような気がするが、気のせいではないだろう。
 『月』が扉を閉める音がパタンと響くと、その人はゆっくり一歩踏み出し、利き手を差し出した。
 「――というわけで、今日からよろしくお願いします」
 『よろしくお願いします』じゃねぇ!!
 と、叫びだす代わりに、カシアンは大きな声でその人を呼んだ。
 「ドクター!!」
 「はい?」
 ジザベルは滅多にない笑顔をカシアンに向ける。悪戯が成功したときの子供のような笑顔だ。
 はめられた――からかわれたのだと気付いたカシアンは顔を真っ赤にして怒鳴った。
 「……た、たばかったな、てめぇ!」
 「失礼な。人聞きの悪い。君がきちんと確認しなかったんでしょう?」
 確かに、カシアンが“誰の下につくか”ということをもっときちんと調べていればよかったのだけれど。
 「そういう問題じゃねぇ!」
 「そういう問題です」
 ジザベルはつんと顔を背けてしまって、それ以上は何をいっても変わらない。いつもと何ら変わらないその様を見たら、何だか気が抜けた。
 「――……何だよ、俺はてっきり」
 どうでもいいと思われているんだと。
 「てっきり?何です?」
 「何でもない。なあ、どうしてこんな周りくどいことしたんだ?」
 「周りくどい……まあ、そうですが」
 ジザベルは苦笑する。
 「私、この間出世したんで、一応」
 「それが?」
 「第一階級になったら、好きに部下を選んでもいいんですよ。だったら、貴方で充分だなって」
 「ドクター……」
 感動的な台詞だが、今一つ何かが引っかかる。
 「それは、もしかして、新しい人材をいれるのが面倒だっただけとか……」
 「おや、よくわかりましたね」
 ジザベルは笑う。
 「何から何まで説明しないでよくて、技量もある相手、なんてそんなにいませんから。育てるだけで大変です」
 「……あ、そ」
 そんなこったろうと思ったよ。
 所詮、その程度の存在だ。と、ふてくされそうになったカシアンの耳に次の一言が届いた。

 「君以外の人間と組む気はありませんから、私」

 「――……しょうがねぇなあ」
 苦笑し、長めの前髪をかきあげる。
 「付き合ってやるよ、もう少し」
 そう言い、カシアンはジザベルの手をとった。












END




どうでもいいんですが、私、大アルカナで上司にするなら『月』がいいです。なんとなく一番まともな神経してそうなんで。

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